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甲冑は武士の魂です。

1600年の秋、日本では徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が美濃国(岐阜県)関ケ原の地で天下分け目の合戦を行っていました。

勝負には「天の時 地の利 人の和」が必要といわれていますが、石田三成は「天の時 地の利」にめぐまれていましたが、「人の和」では徳川家康には適わず、午後には東軍優勢となり、西軍の猛将島津義弘が「腹ば切るば、ごわす」と、一度は自刃を決断するも、甥の島津豊久に説得され、薩摩への退却を図り、敵中突破しました。それを追ったのが、徳川四天王にも数えられ「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられた井伊直政です。島津の兵は1500といわれてますが、兵揃いです。結局この戦いがもとで井伊直政は命を落としてしまうのですが、関ケ原合戦において、「逃げる白い陣営の島津、追う赤い陣営の井伊」これは伝説なりました。

江戸時代、彦根に住まう甲冑職人は井伊家の庇護のもと、優れた技術を仏壇職人として平和に転用し、この現代でも彦根仏壇としてその威厳を保っています。写真の井伊家の赤備えの甲冑は彦根仏壇事業協同組合の皆様の手で作られたものです。そうして武士の魂はいまをときめいています。

そしてこの話にはまだ続きがあります。逃げた島津ですが、島津はこの教訓を忘れることなく、昭和に入り、鹿児島(薩摩)の伊集院町と多賀町は姉妹都市となり、島津越えの威徳をたたえようと伊集院町の小学生が昭和35年からこの退路をたどり、関ケ原から大阪までの120㎞を5日間で踏破する《関ケ原戦跡踏破隊》を組織して毎年夏休みにこの道筋を辿ったといい、滋賀県側は大いに歓迎をしたといいます。