ちぢれ美 岩崎政雄 陶匠

 

びわ湖が一望できる滋賀県大津市木戸の「日の出窯」の岩崎政雄さんは、陶芸一筋50数年の陶匠です。

埼玉県出身で京都で陶芸の修行を積み、大津に自身の窯を興して以来、ただひたすらに作陶され続けました。

そして切り拓かれた境地が釉薬のちぢれを美として作品に生かした『龍爪梅花皮』(りゅうそうかいらぎ)の世界です。

このちぢれは梅花皮(かいらぎ)ともいわれ、本来は釉薬の失敗作として陶芸家からは嫌われるものでしたが、岩崎政雄陶匠は逆にそれを美としてやろうと、逆転の発想から試行錯誤しながら約10年をかけて現在のフォルムを完成させました。

特に赤の梅花皮は世界的に非常に珍しく一部のファンに世界初といわれ、長年の努力が本人が想像する以上に評価されていることに岩崎政雄陶匠はとまどいと喜びをにじませています。

現在、龍爪梅花皮作品は急須やコップなどのリビング品と大皿や壷の作品の2カテゴリーあります。

つい最近まではごく一部の限られた方にしか販売されてこなかったのですが、岩崎政雄作陶50周年を経てこれからは多くの方々に知っていただこうと、大阪阪神百貨店での個展を皮切りに、京都大丸展、東京日本橋高島屋店、岩崎政雄陶匠の地元埼玉八木橋百貨店、そして名古屋名鉄百貨店、三重津松菱百貨店(R8.1月予定)と個展を開催し、多くの方との交流の中で龍爪梅花皮作品に触れていただこうと、展示販売会を開催されています。

陶芸の歴史は数万年前の縄文時代にさかのぼります。それほど日本人の生活の中では身近な存在です。様々な諸先輩方がチャレンジされてきた新しい陶芸のフォルム、とてもそれらには及びませんが、岩崎政雄陶匠が作陶する「赤のちぢれ美、龍爪梅花皮」が、いつの日かその末席を飾れますよう、期待をもって見守りたいと思います。


「漆アートパネル」  木芸家 田中清貴 

滋賀県大津市のまれびと工房の田中清貴さんは木工作家三代目であり、2001年以降、200ヶ所以上の全国百貨店において個展を開催されてきた漆工芸作家です。

そのキャリアにおいての最大のヒット作品が「ベンチ」シリーズです。

今も人気の作品としてはじめてのお客様から愛好家の心をひきつけてやみません。

気に入った木材の木目などの特性を作品に生かすことをモットーに自らの工房にて設計・加工・漆塗りを完成させるスタイルで同じものはありません。

そんな田中清貴さんが近年に創作された新シリーズが「漆アートパネル」です。 シンプルにウッドパネル(木板)に漆を塗られた(描かれた)漆作品であり、伝統と最新の技で生み出されたTHE JAPAN !

ややもする工芸品のカテゴリーにされがちですが、もうこれは立派な日本アート作品であります。

田中清貴さんの独自のセンスと技術で縄文時代から続く木と漆の工芸はこれからも進化を遂げます。彼が創作する日本ならではのアート作品にご注目お願いします。


彫刻  仏師・彫刻家 伊原栄一

 

滋賀県佛像彫刻家協会会員の仏師の伊原栄一さんは、長年仏師として培われた彫刻の技術を活かして、現代彫刻のかたちを癒しをテーマに切り開かれています。

仏師というのは日本への仏教伝来とともに伝わった御仏の大慈大悲を木彫をもって表現する伝統の職業です。

伊原栄一さんは本業の仏像製作と並行しながら、雑多の現代社会の中において、少しでも疲れを癒していただけるような現代彫刻のかたちを追求されています。それは仏師としての精神と技術の顕れかもしれません。

人は生きている限り、自身の心をと向き合わなければなりません。頭では1+1=2と理解できていても、心はそう簡単にはいきません。

癒しの彫刻とは、その心をそっと応援するそんな彫刻です。本当の贅沢とはこういうものを身近に置くことかもしれませんね。

仏師・彫刻家 伊原栄一にご注目いただければおもしろいと思います。

Hello World!

甲冑は武士の魂です。

1600年の秋、日本では徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が美濃国(岐阜県)関ケ原の地で天下分け目の合戦を行っていました。

勝負には「天の時 地の利 人の和」が必要といわれていますが、石田三成は「天の時 地の利」にめぐまれていましたが、「人の和」では徳川家康には適わず、午後には東軍優勢となり、西軍の猛将島津義弘が「腹ば切るば、ごわす」と、一度は自刃を決断するも、甥の島津豊久に説得され、薩摩への退却を図り、敵中突破しました。それを追ったのが、徳川四天王にも数えられ「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられた井伊直政です。島津の兵は1500といわれてますが、兵揃いです。結局この戦いがもとで井伊直政は命を落としてしまうのですが、関ケ原合戦において、「逃げる白い陣営の島津、追う赤い陣営の井伊」これは伝説なりました。

江戸時代、彦根に住まう甲冑職人は井伊家の庇護のもと、優れた技術を仏壇職人として平和に転用し、この現代でも彦根仏壇としてその威厳を保っています。写真の井伊家の赤備えの甲冑は彦根仏壇事業協同組合の皆様の手で作られたものです。そうして武士の魂はいまをときめいています。

そしてこの話にはまだ続きがあります。逃げた島津ですが、島津はこの教訓を忘れることなく、昭和に入り、鹿児島(薩摩)の伊集院町と多賀町は姉妹都市となり、島津越えの威徳をたたえようと伊集院町の小学生が昭和35年からこの退路をたどり、関ケ原から大阪までの120㎞を5日間で踏破する《関ケ原戦跡踏破隊》を組織して毎年夏休みにこの道筋を辿ったといい、滋賀県側は大いに歓迎をしたといいます。